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あるペシミストの日常
悪意の人

前にもどこかで書いたことある気がするけれど、

私はネットの人間関係だからといって

簡単に切れるタイプではありません。



簡単にカットアウトできるというのは

ネットの利点ではあるけれど

よほどのことでは行使したくないと思ってます

画面の向こうにいるのは、心がある人間だから。



でもそれは、綺麗事を言ってるという訳ではなくて

自分がそうされたら嫌だから、という点に尽きる、

ある意味自己中な考えなのであります。





今日、とある人にTwitterのフォローを外されました。



その人に限らずフォローを外されるだとか

ブロックされるだとかは何度か経験しているので

慣れ…


るわけねえだろ



たとえどんな人であれ、どんな理由であれ

心臓つかまれたみたいな思いを

強弱の差はあれど、その都度していますよ。




まあ、その人とは、

いろいろタイミングが悪いということが何度か。


今日のことで言うなら、

迷惑メールというか、よからぬ縁で知り合った方から

あまりよくないメールを受信していて、

その内容に対するリアクションをTwitterで書いていました。


その時、その人は、持論をTwitterで語っている真っ最中。


リログのタイミングによっては、

その人が自分のことだと思ってしまいかねない…!

と思って、削除したりはしてましたが

そうこうしているうちにフォロワーが一人減り、

まさかと思って確認したら、まさしくその人でした。


ニコ生のコミュにも入ってくださっている人なので

チェックしましたが退会した後でした。




前にも何度か、その人には

全然関係ない私のツイートに噛み付いてこられたり

フォローも外されたり ということがあり。


気に入らないなら見るな!!とツイートしているのを見て

「ああ、私はこの人にかかわらない方がいいんだな」と認識、

その人が疲れているツイートや、落ち込んでいるツイートに

何か励ましの声をかけたいと思っても


少し理不尽な文句を並べるツイートに

「こういうことでは?」と意見を述べたいと思っても


私の言葉は悪意にとられがちだから(特に後者は)

逆撫でしてもいけないし、そっとしておこう

と思っていました。


かまってくれる人は、他にもたくさんいましたから。






Twitterだから何をつぶやいてもいい、とは思いません。

ある程度の配慮が必要なのはわかっていますが

ちょっとした、フォロワーの誰宛でもないネガなツイートをして

それに過剰に反応されてしまっても困惑してしまいます。


ネタ的に、怒ってるツイートに「ご、ごめん><」とかリプる、

そういう絡みならまだしも…マジギレって。




それに、ネガなツイートで言うならば、

その人だって日常的に行っているわけだし、

それに誰がどういう反応を返そうが、

文句を言えた立場ではないとも思うのです。


自分はするけど、他人のそれには過剰反応して噛み付く。

自分はするけど、他人がしているのは許せない。



それは、いわゆるダブルスタンダードであって、

あまりよくないことだと思うのですよねぇ




自分もしてるんだから、他人のも許容しようよ

私のツイートはすべてあなたに向けたものではないのですよ

私が女だから、そんな反応なんでしょうか?

それとも私が嫌いなんですかね?



そういう社交辞令的なフォローなら、

まあ切られても仕方ないです



でもね、前にその人に言われたんですよ。


「私はカッとなると後先考えず感情のままに行動してしまって、

 人を傷つけたりもするし、後悔することもたくさんある。

 ごめんなさい」

ってね。


心のままに行動した結果後悔を招くのはよくあることで

私もそういうことは多々あります。


自分に心(感情)があるように、

画面の向こうの文字だけの関わりをもつ相手にも

やはり心(感情)があるのですよね。



あの時謝ってくれた言葉はなんだったんだろうなって、

一人減ったフォロワーの数字を見ながら考えます。



私は、カットアウトはしたくないです。

今回のことで、もう私がその人にとって

悪意と敵意に満ちた人間だと認識されたのなら

もう、それでいいです。

そうすることでその人が、心の平穏を得られるならね。


自戒。

posted by ほしょ | 23:30 | つぶやき。 | comments(0) | trackbacks(0) |
どうすれば
どうすれば私は

大切な人に

嫌な思いをさせずに済むんだろう



心配かけずに済むんだろう





惰性で生きてるだけの

無価値な私なんか

捨て置いてくれていいのに



そりゃ、ちょっとは嬉しくも思うけど

心配かけておいてそれを嬉しいと感じるだなんて

おこがましいにも程がある


根っからのクズじゃん






もうホントにどうしたらいいかわからない



これでまた呆れられて距離はあくだろうな


姿が見えるうちはつらいけど

私は静かに生きなくてはいけない

苦しいだけの人生の方が

生きることに希望なんか持たずに済むから



posted by ほしょ | 03:04 | つぶやき。 | comments(0) | trackbacks(0) |
無気力。
再発した可能性も無きにしも非ずだけど

どちらかというと

鬱を発症したんじゃないだろうか



というくらい

抗いがたい無気力の波が

絶え間なく襲ってくる



何かしようと動く

或いは動こうとする

途端に無気力になってその気が失せる


何とか振りほどいて動き終えると

疲労感がハンパない



なんていうか

身体も、心も、頭もくったくたで

異様に疲れてすぎてるって感じ

ぼーっとしてて、眠たいような



無気力にならずに動ける時もある

そういう時は無気力につかまらないうちに、と

急いで用事を済ませる



病院行くべきかも?

お金と保険どうにかしないとだけど。
posted by ほしょ | 00:18 | つぶやき。 | comments(0) | trackbacks(0) |
叔父のこと。


先日、母方の叔父が亡くなりました。享年64。

死因はガン。


2年前に腎臓ガンで手術をして成功

そこはよかったのですが

ひっそりと骨・皮膚に転移していた模様。


余命一年と宣告されてからも、

家族の生活や自分の葬儀にお金がかかるからと

痛みを堪えて店に立っていたそうです。

限界を感じて病院に行き、そのまま倒れて

モルヒネで痛みを抑えながらまる一ヶ月入院して

そのまま亡くなってしまいました。




母方の兄弟で、私は初の姪ということで

当時独身だった叔父は、たいそう喜んでくれたそうです。


「姉さん、男なら俺に任せろ、立派に仕込んでやる」


と言ったんだとか。

実際生まれた私は男ではなかったわけですが、

ガッカリするどころか更に大喜びして、

「いつ連れて歩けるようになるんだ」と急かして

まだヨチヨチ歩きの私を

遊園地に連れて行ってくれたりしたそうです。



当時まだ若いし独身だし、

叔父さんと呼ばれるのに抵抗があったので

「お兄ちゃん」と呼ばせようとしていたそうなのですが

幼少時から滑舌の悪かった私は「いーちゃん」としか言えず、

それが今でも、私たち兄弟が叔父を呼ぶ時の愛称になっていました。



いーちゃんは、自分が結婚して子供をもうけても

私が気が引けるほどに私を、自分の子のように可愛がってくれ、

まるで父親のようでした。


実際、実の父親はさほど父親らしいこともせず

自分のことしか考えていないような人だったので

責任感もあり、すべてにおいてきっちりと考え、行う叔父は

実の父よりも父らしかったです。


妹は、離婚して一人気ままに暮らし、

我が子たちを顧みず奔放に生きる父よりも叔父を選び

結婚式のバージンロードを歩く役目を叔父に依頼。

私もそうしてほしいと思っていると叔父に伝えたこともあります。

私のは結局叶いませんでしたがww



私が前職の会社に入る時に、保証人を二人たてなければならず

普通はご両親です、と人事の人に説明されたものの

父はその時音信不通だったため、叔父に依頼することに。


仕事内容を聞いて渋った叔父でしたが、

絶対に迷惑はかけないと誓って保証人になってくれました。


「嫁入り前の娘がする仕事じゃない」と言っていましたが

かの映画『おくりびと』を叔母と観に行き、

「俺の姪っ子はこういう立派な仕事を選んだんだ。心配要らなかった」

と誇りに思ってくれたそうです。



毎年正月には叔父の家に母方の親戚が集うのですが

酒好きな叔父はしこたま飲んで大抵酔っ払っており、

結婚はまだかだの仕事はどうしてるだの口うるさく絡んできては

下戸な私に無理やりお酒を勧めてきたり

他にも理由はあったのですが(KYな伯母が苦手だったり)

すべては私を心配するあまりだとはわかっていても

正直半分行きたくないとか思ってしまっていました。



余命宣告を受けたと聞いた後も、

やつれたり皮膚ガンの腫瘍が顔に出たと聞く叔父の姿を

見て平静を保てる自信がなく会いに行くのを避けていました。



ついに倒れて危篤だと聞かされた時、

友人に「早く会いに行ってやれ」と背中を押されなければ

私は今も病院に見舞うこともせずに葬儀を終えて

後悔していたかもしれません。



勇気を出して病院へ行き、病室に入った時

鼻先と顎に大きな腫瘍をぶら下げて

頬がこけ、酸素のチューブが鼻に入った叔父を見て

涙をこらえるのがやっとでした。

体中が痛むので、手を取っただけで顔をしかめ、

血尿が出るらしく尿意を覚えたり、

病院のスタッフが床ずれ防止に体位を変えに来てくれたりすると

我慢強くて弱音なんか吐いたことなかった叔父が

「痛い痛い痛い!!!」と叫ぶに至るのを聞くと

かわいそうで、つらくて、我慢できませんでした。



前職に就いていた頃も、「代わってあげたかった」と

故人に声をかける遺族は何人も居ました。


その気持ちがとてもよくわかりました。


あらゆることに絶望しかけて

自分の価値も見いだせないまま惰性で生きていた私は

死ぬべきは私であって叔父じゃない。

神様仏様、いーちゃんを連れて行くなら私の命を持って行って!

と、何度も願いました。




ある時、先日の記事にも書いたようなことがあって

私は本当に生きていることに絶望していました。

何も未来に希望が持てずに

それでもハロワに行くかなぁ、なんて寝床で考えている時

電話が鳴り、その電話は母からで、

叔父が亡くなったと知らされました。


夕方には叔父の家に搬送されるから来なさい、という母に

結局どこで葬儀することに決めたんだろう?と聞くと

なんと、あれだけ私に文句を言っていた、私の元勤務先。

しかも、いろいろとプランを挙げてもらっていて

一番高いと文句をつけた一般葬でやる、と言うのです。



まあ、それはいい。

とにかく会いに行かなくては、と身支度して家を出、

叔父の家に辿り着くと、見慣れた制服の人が一人。

顔見知りでなかったことにホッとしつつ

こっそりと搬送は誰が動いているのか聞くと

外注の業者だとのことで更に安堵。


車から叔父を下ろして安置するまでを手伝い、

ドライ当ての作業を私がやりますと申し出て

手際の良さに不思議そうな担当者に

「以前勤めておりました」というと納得顔。


叔父は苦しんだ様子もなく、

好きだったゴルフウェアに着せ替えられていて

顔の腫瘍は残されていましたが

それ以外は痛々しそうな顔ではありませんでした。



叔母が、打ち合わせ時には同席してくれと言うので

話を一緒に聞いていましたが、

しょっちゅう電話や弔問客の相手に席を立つ叔母。


その間、担当者さんとは雑談となるのですが

彼の同期を聞くと知った名前がちらほら。

一応、私の叔父の葬儀であることは

私の居た部署の人間には内密にしておいてくれるよう頼み

彼は最後まで、報告の必要がある直属の上司にすら

そのことは黙ってくれていたようです。



湯灌(追加料金)はどうしますか、と彼が尋ね

叔母は「病院でしましたから結構です。姪もおりますし」

と即答。


実際、病院で済ませたから、と断る人は多いのですが

あれは清拭と言ってアルコール綿花で拭く程度のことで、

体の処置も死化粧も、その場限りのもの。

湯灌は体の処置もしっかりするし、希望があれば

お風呂に入れて頭も体も洗うし、爪も切り、ヒゲを剃って

ケアは病院のそれよりもきっちりしている自信があります。

変な話、見積担当者は売上を上げるために

その点を説明して、どうにか注文をとってきてくれたりします。



ヒゲは、一応理容師免許を持つ叔母が剃ったそうなのですが

私から見ると、生きている人のヒゲを剃るのとは要領が違うし

これからも伸びることを考えたら頼んだ方がいいという気持ちと

元同僚と顔を合わせるのが気まずいので頼まなくても私がやれるという気持ちで

口は出しませんでした。

担当者(以下Iさん)も姪と指された元従業員の私を気遣ってか

普通なら食い下がるところをあっさりと引き、打ち合わせを続けます。


叔母は普段からも、話があちこちに飛びがちで

こちらの意図とは違った返事を返すことも少なくないので

Iさんは苦労したと思います。

ちょっと叔母が席を立った時に「ああいう人だから、ごめんなさいね」

「もっとぐいぐい話進めちゃってくれていいんでw」と言うと

ちょっと笑っていました。



初めて葬家側になって話を聞き、

施行側の内情も知っている身としては

叔母の“気持ちはわかるがトンデモな要望”を

Iさんはよく聞いてくれたと思います。


そのうち叔母が、「ほしょちゃんはいいから」と

話を修正しようとする私を煩がってきたので

席を外して叔父のそばについていました。



今回喪主を務めることになった従弟や

その姉たちが叔父の鼻のデキモノを気にしていたので

間に合せの道具で化粧で目立たなくすると

とても喜んでくれました。


病院では、取ったら膿が出て止まらなくなると言われたそうで

それは生きている時と、死んで間もない時だと言うと、

「ほしょ姉ちゃんなら取れる?」と一番下の従妹(美容師)。

仮にまだ膿が出る状態だったとしても、

止める処置方法は知ってるし、どうにかなる。

ただ、腫瘍を取るには刃物を使って叔父を傷つけるかもしれない、

と言うと、従弟は

「母さんが何て言うかだけど、父さんは前から邪魔がってたし取って欲しい」

従妹その1は「お母さんは私が説得してみる。取ってあげて」

従妹その2は「ほしょ姉ちゃんの腕を信じる。取って欲しい」


特に、嫁に出て3児をもうけた従妹その1は、

自分の娘が腫瘍のある叔父を怖がって泣いて近寄らなくなったことを

とてもとても気にしていたので

叔母に「子供たちがじいじは怖いというイメージのまま大人になるのは嫌」

という旨の長文メールを送ってくれたんだそう。


実際、腫瘍を取ってからの叔父には

従妹の子供たちも怖がらず「じいじー」と近寄って

顔に触ったりなんだりとできていたので私も満足です。




翌日私は、家にある代用できるものを持ち、

近所のお店を巡って間に合わせの道具を揃え、叔父宅へ。


叔父はアイバンクに登録しており、

亡くなった時に眼球を摘出されていたそうで

小さな義眼が入った目がくぼんでしまっていることも

叔母たちは気になっていたそう。

見てるのはつらいから、と襖を締め切って叔父と対峙し、

無事に腫瘍を取り、目も頬も綿を使ってふっくらとさせると

私もやりきった感と、また元気な頃に近い叔父に会えたことで

涙が溢れて止まりませんでした。



叔母も従弟妹たちも、とても喜んでくれました。



改めて、私の天職だったんだなと感じさせてもらえました。

叔父には感謝です。

納棺を明日に控え、私が担当しますと言ったことで

Iさんは普通なら使えない専用の部屋を抑えてくれていました。




その帰りがけ、電話が鳴りました。

表示される相手は、辞めるきっかけになった元上司。

おそるおそる出てみると、今日私が買い物をしていた時、

同じく仕事道具を買いに来ていた後輩の男の子たちが私を目撃したこと

身の回りに変わったことはないか、という話をされ

「叔父が亡くなりました」と言うと「やっぱりね」。


Iさんが伏せてくれていたものの、どこかで情報が耳に入ったらしく

「明日、Kさんが行くから、怒られてきなさいw」とのこと。

Kさんは、私の部署の一番上の上司で、

私のようなダメな部下を根気強く指導し、正社員に推薦してくれた、

一番お世話になった先輩であり、上司。

ユカンヤを20年近くやっている超がつくベテランで、

私が頼んで仕事道具のハサミを研いでもらったりしていて

面識はないものの叔父のことは知っていました。



通夜当日、納棺の時間前に斎場に着いた私は、

Kさんにおそるおそる挨拶。

「来やがったな」と言い、Kさんと叔父の安置された部屋へ行き

ちゃんとした道具がなかった私の化粧や処置を手直ししてくれました。

挨拶もままならず辞めた私のことを責めもしましたが

そうせざるを得なかったことに理解も示してくれ、

地方の納棺業者の面接も受けたことを話すと

「そんなにやりたい仕事なら、辞めないでウチにいればよかったのに」

とちょっと笑っていました。


納棺も、私のアシストという形で行ってくれ、

最後に「落ち着いたら連絡よこしなさいよね」と軽くお尻を叩かれました。

通夜の前には「がんばって送りなさい」とメールもくれました。



叔父が、絶たれていた縁をまた結んでくれたのだと思います。

許されないことをしたから、許されないままでもいいけれど、

また普通に言葉を交わせるようになったのは、叔父のおかげ。

絶望して、ついに死を選ぼうとしていた私に

「生きなさい」とでも言うように旅立った叔父。


私は最後まで、可愛い姪だと思われていたのだと感じています。




もちろん通夜や告別式も元勤務先の施設でしたが、

そこで式の一切を担当してくれたのは、Sさんという女性。

入社時期からすると私より後輩になるのですが、

私の顔を見て驚き、その後しんみりと「ご縁ですね」と言いました。


Sさんの話によれば、彼女の親類が亡くなった時にも

その会社で葬儀をあげたらしいのですが、

その湯灌・納棺を担当したのが私だったそうで。

記憶になかったのですが、Sさんが言ってくれました。

「その時、ほしょさんにきれいにしていただいて送れて…

 私も叔父様を送れて、これでご恩返しできますね」

しっかり務めさせていただきます、と頭を下げるSさんに

気の利いた返事もできず私も頭を下げるだけでした。




叔母がワガママを言うのでSさんには申し訳ないと思いつつ

一般葬でよかったというほど会葬者がお見えになって、

改めて叔父の偉大さを感じる葬儀でした。




でも実は、まだはっきりと実感できてなくて、

お骨になって家に戻ってきた叔父の遺影の前に座って

やっと「ああもうこの家にいーちゃんはいないんだ」と

うっすら思えるようになってきたほどで、


またあの家に行くと


お店でお客さんの頭を刈りながら

あるいは店先で銜えタバコで新聞読みながら

「おお、ほしょ来たのか。寿司でも食ってくか?焼肉行くか?」

「久々にいーちゃんと碁うつか?」

なんて嬉しそうに言ってくれる叔父が居るような気がしています。




いーちゃん、もう痛くないね。がんばったね。


お疲れさま。おじいちゃんおばあちゃんには会えたかな。


そちらで大好きなお酒を飲みながら、ゆっくり休んでね。


一番心配かけたし、これからも心配だろうけど、


誰よりも他の人のことばかり考えていたいーちゃんだから、


少し自分のことだけ考えてのんびり過ごしてね。


それと、いーちゃんがこんな時にまで、


好きな人のこと考えたりするダメな姪でごめんね。


安らかに眠ってください。







以下は、お見苦しいこともある愚痴の部分なのでたたみます。

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posted by ほしょ | 21:57 | 日々のきろく。 | comments(0) | trackbacks(0) |
求職生活

愚痴です。


最初に言っておきますw






誇りだった仕事を失ってから、2ヶ月と少し。


最初の頃は無気力で、情報誌も流し見でした。

とある飲食業の面接を受けに行き、

前職について聞かれたので、正直に答えました。


「死体を触ってた手で飲食業はちょっとねぇ(苦笑)」


打ちのめされて帰宅。


誇りだった仕事を貶められて愚痴った私に友達が一言。

「また同じ仕事やれば?むしろなんでやらないの?


目からウロコでさっそく検索をかけてアポを取り、

経験者である強みを面接でも売り込んだのですが

意外なところにも息がかかっているのか、不採用。



私の腕が買われないなら、何の仕事でもダメなんだ。



そんな気になってハローワークへ行くのも億劫に。




でも現実は、そうも言ってられない状況に。(金銭的な意味で)




それから私は、バイト情報アプリを入れ

ネットでも検索、登録している転職サイトの求人情報に

片っ端からエントリー。

雇用形態にこだわらず、未経験歓迎なら未経験でも、

月々の出費のことを考えて収入面を多少選んだ程度で

ほぼ手当たり次第に。

もちろんハロワも。



書類選考の段階で落ちる場合もあれば、

はるばる面接に出かけて行って落とされる場合も。

好感触であっても油断は禁物。


「種々慎重なる検討の結果、誠に遺憾ながらご期待に添いかねる結果となりました」

「慎重に検討いたしましたが、 今回はご希望にそえない結果となりましたことを…」

「慎重なる選考の結果、残念ながら貴意にそえませんでした」


…こんなもんです。

「是非面接受けてください!」ってオファーがきた企業ですら、ね。

そして定型文なのはわかっているのですが、

大抵が「今後のご健勝とご活躍をお祈りしております」と結ぶ。


御社で活躍させてくださいよ!!!







たぶんね、ネックは年齢なんですよね。


新卒の就職率だって厳しいこの時代、

BBAな私が易易と就職できるはずがない。



アルバイトの面接ですら通らないとなると、

私という人間自身を否定されてるような気にもなってくる。


折れそうになる心を奮い立たせて、

新しい履歴書を書き始める。






履歴書代、証明写真代、交通費…

就活にも結構チリツモな雑費がかかるものですね。

それでも食費を切り詰めたり、

極力電気の使用を控えたり…




気休めといえば、スカイプかけてきてくれるフレさんと

マビや麻雀(雀龍門)。

ニコ生も、フレさんがいない時にちょっとやってみたり。

長い休職期間で夜型に移行しつつあるサイクルも、

面接のない昼間はおひるねする程度で

極力起きて何かするように心がけて

カラオケ行きたくなったらニコ動見ながら歌ったり

ipodをスピーカーにセットして歌ったり、たまに踊ったり。



父代わりの叔父が危篤となれば

片道20km原チャリ飛ばしてお見舞いに。


お金がなくても心まで貧しくなっちゃいけないって

なるべく笑顔を心がけて明るく振る舞おうって。





そんな生活。



私なりにがんばっていました。





でも、ある日、ある友人にこんなことを言われました。


ほしょさんの生活には呆れてる。

職安行ったりバイト始めたりしないで

ゲーム三昧、夜更し三昧。

アドバイスしても受け入れてくれない。

生活の改善をすべき。

もうかける言葉もない。

(意訳)





その人の目には、私はまるでニートのように

日々をだらだら過ごしているように映っていたのでしょうか。



友達としての苦言。

ありがたく受け取らなければいけない忠告。




でもね、でもね。


面接たくさん受けてるんだよ。でも落ちるんだ。

太ってるのが悪いのかなって、ダイエットもしてる。(他の理由もあるけど)

書類選考で落とされないようにレジュメも何度も手を入れてる。

確かに夜更しもしてるけど、その分昼間起きてるようにがんばったり

マビだって基本的に夕方以降にしかしてない。

がんばらなきゃ、って何回も面接にチャレンジするのも、

がんばってね、って言ってくれたからだよ。



そんな、甘えた言葉が涙といっしょに出てくる。





手っ取り早くお金を手に入れるためには

体型や年齢を活かせる、その手の嗜好の人向けな

デリでヘル的な仕事も考えたこともある。

そういう仕事をしている人を貶めてるわけではなく、

むしろ私には出来ないから尊敬すらしているのだけれど

本当にそこまではしたくない、できないって思った。


お金のためなら、って割り切った考えができないことを

甘えと言われればそうなのかもしれない。




聞かされた時に、もう死にたいと思った。

そこそこつらい思いもしてるのに

良くも悪くもそんな風に思われてたなんて。

好かれてはいまいと思っていたけど…orz

いや、友達だからこそ苦言を呈してくれたのかもしれない。




仕事さがそ!→決まった♪ って簡単にいけるなら

私はとっくに仕事を始めてる。


働きたいんだ!

タバコや缶コーヒー買うのに躊躇する生活なんてもうイヤだし

具合が悪くなったらすぐ病院に行ったり

前歯が欠けたら歯医者にすぐ行ける生活の方がいいに決まってる。

マビのワイバーンだって何匹も買い揃えたかったし

細工して強い武器もほしいよ。

エモ付きの箱だってほしかった。

ELで死にまくってエビフライ屋さんにならないように

ナオ石だってたくさん買いたい。


見かねたフレさんがワイバーンやハロウィンカード

プレゼントしてくれたのだって本当に申し訳なく、

とてもありがたく思ってるんだ。




何より親や友達に要らぬ心配させずに済むなら

早いとこ仕事決めて、心配の種、

減らしたいと思ってるんだよ!!!







でもダメな時はダメなんだ

もう疲れた

何かが壊れる音がしたよ




ユカンヤになりたての頃、なぜミスをするのか先輩に問われて

「がんばってるのになかなか仕事が覚えられない」

と答えた時の、先輩の言葉を思い出す。


「がんばってるとか努力してるかどうか判断するのは

 お前じゃなくて周りなんだよ!!」

「結果で現れなければそれは努力したとは言えないんだよ!」


先輩は正しい。判断する周りも正しい。





だから私は、もっとがんばらなくちゃいけない。

もっと、もっと…

posted by ほしょ | 13:57 | つぶやき。 | comments(0) | trackbacks(0) |