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あるペシミストの日常
悟った

最近、いろいろあって、ちょっと沈んでおりました。



人生はうまくいくものじゃないのは百も承知で

もはや諦観の域に入りつつあるんだけれど

それでもやっぱり人間だから、

浮き沈みはあるもので。



少し前にネットのトラブルに見舞われて

親身になっていろいろしてくれた方がいるんだけども

この方とも話したんですわ。


ネットが普及するかしないかの頃は、

同じネットでももう少し温かみがあったよね、って。

画面の向こうに同じ人間が居て、

その人間は自分と同じ心を持っていて、

強度の差こそあれど礼儀を弁えたりだとか

傷つくことのないように配慮したりだとか

まあそんな昔話。



今は、いろんなトラブルが起こる世界だから、

クリック一つで相手と縁を切るのがたやすくなっていて…


Twitterにしろ、Skypeにしろ、

やったことないけどフェイスブックにしろ?

各種SNSが主に「見て欲しくない相手」というのを

簡単に設定できるようになっていて、

例えばホームページを作るにしろなんにしろ

『全世界に発信するもの』という概念が

ほんのちょっぴり薄れてきているように思うし


本来それは、悪戯やスパム防止だったり

そういうための便利な機能だったりしたんだろうけれど

その目的が何となく、「気に入らないからカットアウトする」

というものにすり替わってきているのかなぁ、

と感じております



前にも同じようなことを書いたけど。




なんていうか、人との絆が軽んじられてる

というと大げさかもしれないけども

あからさまな攻撃を仕掛けられた、とかでもないのに

ちょっとケンカしただけ、とか

あの人ちょっと鬱陶しいから、とか

そんな理由でも「はいブロックー!」で済んじゃう

世知辛い世の中になったもんだと思うんですわ




で、まあ今回としては

私はとても大切にしたいと思っていた友人がいて

その友人はメンタルも強い方ではなくて

いろいろ話を聞いたり、アドバイスをしたり

向こうも私に対して友情を感じてくれていると思っていて

その友人が無神経に踏み込んできたわけですよ


でもまあ文字のやり取りだから

顔が見えるわけでも声のトーンで察せられるわけでもなく

しょうがないか、的な感じで

「何かあった?」みたいな話に、

最近ちょっと落ち込んでてさあwww

みたいなことを返そうとしていると

「いや、思い過ごしならいいや」

と勝手に自己完結してしまったわけですよ



なんかもう、それで

ちょっと余裕がなかったこともあって

「何それ。私まだ何も言ってないけど?」的な

返しをしてしまったわけですな


それが気に入らなかったのかなんなのか

「そんな言い方しなくても」って言われたので

その友人は来るもの拒まず去る者追わずなタイプなので

こちらが強く出ると 友人関係オワタ\(^o^)/になりかねず

言えなかった不安をぶちまけてしまいました。


まとめて簡単に言えば、

「聞く気がなくて自己完結する程度の優しさなら

ちらっと聞くような姿勢を見せるのはやめてほしい

一応心配してみました★的な言葉は困るし

あなたが言う「ほしょさんが大事><」は

一体どの程度の“大事”なのかわからないし

今はそっとしておいてほしい」

みたいな。



で、どうなったかと言えば

友人関係オワタ\(^o^)/



私じゃ力になれないし

そういう人無理だからサヨナラ的なことを言われて

まあ最初に例に挙げたような一方的な

カットアウトという手段をとられました。



私はその友人が困っている時に

話を聞いて、一緒に考えて、どうしたらいいのか

私がどれだけの力になれるかを考えて

できる限りのことはしました。


助けを求められたのが嬉しかったし、

それでその友人を助けられるならいいと思って。

元気になってほしかったし。



でもその友人は、私が落ち込んで困っている時

言い争いを招きかねない強い言い方をした私が悪いんですが

助けることなく置き去りにしたわけだ

見返りがあってしたことじゃないと言い切れるけれども

その見返りは「私を見捨てる」ということだったわけだ


そういう人無理だから、ってことで。



「そういう人無理だから」?

文脈から考えると、

人に対する思いやりや友情に関しての

価値観の違いが無理、というように思われたけども

恋人や結婚相手ならいざ知らず

友達なのに、価値観の違いで切るとか

ちょっと心が狭いんじゃないかなあと思った次第



友達って、なんなんでしょうね。

自分の尺に余るような相手とは、

どんな好意があろうとなれないものなんでしょうかね。


人が向けてくる心に対して、心で応じようともしないで

あー無理だわーめんどくさいわーって思ったが最後

バッサリ切って知らんぷり、って

友達どうこう以前に人付き合いとしてどうなんだろう




まあ、リアル社会が小難しい世の中だから

「ネットの世界でまで人間関係のストレス感じたくないわ」

ってことなんでしょうけれどもね。


だからってすぐカットアウトっていかがなものなんでしょ。


ネットだろうがリアルだろうが

コミュニケーションの手段が少し違うだけで

人間関係には何の変わりもないと思うわけで

つまりはそこに「心」があるわけで

ネットだから軽んじてよし、というものではないと

私は思うんですわ





でもね、気づいたんですよ





私はネットでもリアルでも人間関係は大切にしたいと

ずっとずっと考えていたしブログにも書いてきました

その点で考えが似通った人と意見を交わした時には

とてもあったかい気持ちになったものです



ですが、私がぼっちな点を考えても

その友人の周りには多くの人が集まっていて

素敵な彼氏()が居る点を考えても


明らかにマイノリティは私であって

私が異端者であって

私が変わり者であって

マジョリティ=正義、的な風潮に照らし合わせると

私が間違っていて私が悪者なんですね、ハイ



ネットの世界でも心は大切、思いやりが大切

画面の向こうには心を持った人間がいるんだ!

なんて青臭いことを言っていた私がいけないのです



もう少し早く気づけばよかった。



友達に見捨てられて落ち込んでいるところに追撃を受けた

という感じ方をしようとも、それで泣こうと喚こうと

向こうからしてみれば

「めんどくさい相手をカットアウトした」だけのこと





今までにだって私は、

大好きとまではいかなくても友好的だとか、

特に嫌いだとは思わないような相手に

言葉の行き違い程度のことで離れていかれたり

カットアウトされては落ち込んで…みたいな

そういうことを積み重ねてきました。



もっとドライにいかないといけなかったんだ

心に重きを置くのはリアル人間関係だけでヨシ!!




こういうことだったのだと。


下手するとリアルですら、心なんてどうでもよくて

ネットみたいに簡単に切れないから面倒事のない程度に振舞う

というのが真理だったりするのかも。。((((;゚Д゚))))




なんか、この考えに至ってからというもの

落ち込んでいる気持ちに変わりはないのですが

あの時のアレも、この時のアレも、

アレもコレもドレもソレも、み〜んな

「あの時どういうつもりでこの人はあんなことを…」

なんて思い悩んでいたのをぶっ飛ばす勢いで合点がいく。




まあ、もう私の人生消化試合に入っているわけで

特にこの先大きな出来事があるわけでもなく

特別不幸ではないというだけの日々だし

「生きてるというよりは死なないだけ」の人生なので

早くお迎えがくることを願い、どっぷりと落ち込んだら

また適当に明るく元気なフリをしてやり過ごそう。



泣いてないからな!

posted by ほしょ | 00:18 | つぶやき。 | comments(0) | trackbacks(0) |